先日、人生初の同窓会に行ってきました。
生徒の半数以上が集まり、懐かしい面々に思い出が滝のように蘇りました。
まぁそれは良いとして、数十年ぶりに当時の先生方にお会いし、こんな事を言われました。
「あの時、バリカンで無理やり坊主にしてごめんな、今なら体罰で訴えられるよな汗」
当時はそういうのは結構普通にあって、僕たちもそれになんの疑問も持ちませんでした。むしろ先生ってそういうもんだよな、と思っていました。
酔いも回って先生は言います。
「あの頃はさ、俺は絶対に生徒に寄り添うんだ、教師として真剣に生徒と向き合うんだって、そういう気持ちが強くあったんだよ。今でも覚えてるよ、家庭訪問でもないのにお前達の家に行ったりしたこと。今でも覚えてる。お前の部屋の様子も、お前んちの急な階段も、お前んちの玄関の様子とか、もう全部、今でも全部覚えてるんだ」
「あの頃の俺は、それが正しいと思ってたんだ。そして俺にとってお前らとの三年間は、最高の教師人生だったよ、ごめんな、ありがとう」
みんなその話をしっかり聞いていました。涙を流す人もいました。謝るなよ先生と慰める人もいました。時代は変わったよなと言う人もいました。先生のような真っ直ぐな優しさが真っ直ぐに届くような、そんな教育と市政を目指します、という人もいました。
僕、思うんです。
時代によって変わるものがあるのは当然、しかし、いくら時が経とうとも変わってはいけないもの。そういうものがある。例えば「優しさの届き方」とか、あるいは「教育」とか、あるいは「人の気持ちの汲み方」とか。そういうのは不変で、変わり行く時代の中で唯一変わらずにそこにあるもの、真実。それはきっと、守ろうとしないと、守れない。
そう思ったんです。
今の時代、確かに新しいものを次々と乗りこなしていくのは必要なスキルだと思います。でも、それと同時に、「何かを守る」ということも、同じくらい大事なことなのではないかと、思うのです。
僕が僕であり続ける為に
君が君であり続ける為に
あの人が、あの人であり続ける為に
Corporate Lite 2025 | All Rights Reserved.Compass Corporate Lite theme by Flythemes