人に期待するのはいいことだ
その人の可能性を信じている証拠でもある
しかし、期待の仕方を間違えると、期待は怒りに変わり、裏切られたと感じる
この相違はどう生じるのか
それは、見えている山の違いなのだ
ある人は山の頂上の向こう側の景色までを想像して発言する
しかし、その横にいる人は山の頂上は見えない
なぜならば目の前の岩場をクリアすることでいっぱいいっぱいだからだ
見えていない人に、山の頂上まで行こうぜ!と言っても通用するわけがない
その視点を合わせろというのはただのエゴだ
期待という名のエゴ
熱量が違うとか、覚悟が違うとか、そういう類のものでもない
山頂の向こうまで見えている者がそれを感じるということ自体が、「相手のために」はなっていない
大半の人は岩場でつまづいて終わりになる
そして山頂の向こうまで見えている者は「諦めて」去っていく
だから岩場を乗り越えられるような言葉が、相手に合わせた言葉が必要になる
冷静に、着実に、岩場を一個一個乗り越えられるように
そして気づいたら山頂に着いていた
というのが本物なのではないだろうか
そしてそれを自在に操ることができるのが、「指導者」なのだ
その視点が増えたら、どんなに良い世界になるだろう
期待の仕方を間違えないように
気をつけて進もう